在日の思い
- 幼少期~成人まで
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在日と知らされた日の事はよく覚えてます。それまでも、不思議・怪しいと思ってた気がします。どこか友達の家と違う・・・それは毎日の食卓の様子だったり、祖父母がハングル交じりで話したり、親戚の結婚式では皆チョゴリで登場したり。親に言われて「あぁ、そうだったんだ・・・」妙に納得しました。嬉しかったか、嫌だったかと言えば、子供心には嫌で、悲しかったと思います。父から諭されたのは「日本人の子とお前が同じだったら、日本ではその子が選ばれる。お前はその子以上に頑張らないと選ばれない」でした。頑張らないと選ばれない・・・子供時代はどこかで常にこの言葉が私の中にありました。
実生活では通称名で何の問題もありませんでした。1度だけ激しく嫌な思いをしたのは中学の卒業式です。学校が私を承諾も無く本名で呼んだのです。卒業式のリハーサルの日からそう呼ばれたので、残りの日々は生きた心地がしませんでした。何故、生徒の気持ちを考えずにあんな事が出来たのか。今も理解不能です。
外大を選んだのは、広い視野を持ちたかったからです。世界的な視野を持てば、自分の国籍を気にせずに生きていけると思ったからです。思った通り、外大では良い友人に恵まれ、自分の国籍の事も初めて打ち明ける事が出来ました。その頃、韓国に初めて2週間程度、研修旅行に行きました。初めて訪れる母国は、言葉も通じなくて外国のようでした。その頃の韓国は、まだ現在の水準では無く軍隊を街の中で見たりしました。日本で受けた複雑な思いの分を、母国に期待したのに、何故か好きになれなかった。それが私の最初の訪韓でした。景福宮(キョンボックン)光化門(クァンファムン・Gwanghwamun)平成23年春ソウルにて
- 成人~行政書士開業まで
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就職の時にまた国籍の事が理由で残念な事になりました。中学校の頃からの夢が国際線の客室乗務員。内定の段階で「国内線でお願いします」と会社から言われてしまいました。韓国のパスポートだと中国や米国にビザが必要だったからでしょう。結果的には国内線勤務も楽しかったですが、夢が叶う直前に、国籍に邪魔されたという気持ちはありました。
その後は日本人男性と婚姻し子供も生まれ、自分の国籍の事などすっかり忘れてました。(昔の私と比べ、結婚や出産の段階で事務所にいらっしゃるお客様は、帰化の事をよくお調べになり本当に偉いなと感心してます)しだいにこの結婚にも陰りが出てきました。私の結婚での不幸話・・・そこは在日とは無関係なので割愛します。とにかく客室乗務員の経験しか無い私には母子で生きる術がありませんでした。その時に旅行社を経営していた父から「旅行社に来る在日のお客様の中には、帰化や永住のビザの書き方に困ってる方が大勢いる事。何の手続きをするにも、韓国から戸籍を取寄せたり翻訳が必要な事。行政書士の資格を取れば、適法に手続きが出来ること」それらをアドバイスされました。
その後、半年で行政書士の資格を取り、父の旅行社の2階で開業し実務を覚えました。景福宮(キョンボックン)王宮守門将交代儀式
- 開業から現在
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開業後、すぐに帰化サイトも立ち上げました。お客様の目線で良いと思われるシステムをどんどん考えました。「不許可の時には返金保障(全額返金)」のサービスが浮かんだ時、当時どのサイトを見てもこんな事を書いてる事務所は無くて、余りに大胆に感じ、書いていいものか不安で父に相談しました。父からは「法律家として品が無いのでやめるように」とアドバイスをされました。でも私ならネットからこの料金の依頼を頼むには、この保証くらい無いと無理だと考えサイトで広告しました。サイトからのお客様には安心して頂けたようで結果的に良かったです。申請した全てのお客様が許可されたので1度も返金した事はありません。次に「着手金は不要です」これも考えました。お客様の立場にたてば、そうあって欲しいと思うシステムでした。
多くのお客様の手続きをしながらも、自身はなかなか帰化しませんでした。私が帰化を決心をしたのは娘の為です。他に理由はありません。でも私だけが日本籍になるのは嫌だったので、父も母も弟も妹も私が手続きしました。
日本に帰化したら、精神的にはとても安定しました。まず日本は大好きです。もちろん生まれた国だし、今はこの国に認められた気持ちでいます。この国で大学まで国公立でお世話になり、母子で経済的に厳しい時に助けてもらい、こうしてライセンスで仕事もさせてもらえる。本当にいい国だと思います。韓国も大好きです。毎日仕事で在日の方にお会いしますし、父の旅行社は韓国を専門に扱ってるし、なんといっても私の母国です。私の中での母国は祖父母を思い出す感覚かもしれません。韓国でご老人を見かけると自分の祖父母を思い出します。毎年1週間程度、韓国を訪れます。市場を訪れ温泉に行き韓国の食事を楽しみます。いつもソウルに行きますが、いつか慶尚南道の本籍地を訪れたいと思っています。北村韓屋村(プクチョン・ハンオクマウル)付近

